2.稲作以前(縄文のイネ)

 「弥生時代から稲作が始まった.」 授業でそのように聞かされたのではありませんか.では,それ以前の縄文時代ではどのようなものを食べていたのでしょう.鹿やウサギをとらえた狩猟,ヒラメや鯛を釣り,貝を集めた漁労というのが一般的な見解です.1992年に三内丸山遺跡の発掘が始まるや,その見解を覆す研究が進んできました.「縄文人がクリを管理栽培していたのではないか」(佐藤洋一郎教授,総合地球環境学研究所)というDNA分析の結果がでてきたのです.栽培は農業の始まりであり,これまでの生活様式をいっぺんさせる行為です.本当に栽培をしていたのでしょうか,またクリだけだったのでしょうか.これらの答えを得るにはまだ時間がかかるようです.しかし,縄文遺跡である青森県内の風張遺跡では3000年前のイネ籾が3粒見つかっています.イネの籾跡が土器についたあとがみられたのは,同じく縄文時代にあたる5000−4000年前の熊本県大矢遺跡です.このようなイネの籾や籾跡があっても,栽培されていたのではなく,外から持ち込まれたものだという意見もあります.水田あとのない場合は,大量の稲わらなどが見つからない限り栽培してことを証明することが難しいのです.

 佐々木高明(元国立民族博物館館長)さんは,「稲作以前」という本の中で田んぼによらない農耕の存在について触れています.実際はどうだったのでしょう.稲わらの存在は現地で栽培しなければ大量にはみつかりません.しかし,腐ってしまうので,実際に遺物として発掘できるかについては難しいことでしょう.イネの葉には機動細胞という壺のような形をした細胞があります.この細胞は葉の表面に近いところにあり,水の出し入れをすることで葉の水分量を調整するために一役買っています.その際にとりいれた珪素を細胞内に蓄積するためにプラントオパール(phytolith)という細胞をかたどったガラスのようなものを作り出します.非常に安定した物質であるために,プラントオパールは数千年も土壌に残ります.イネの形は独特なために他の植物との識別は可能です.現在,縄文地層からプラントオパールを見つける研究も進められています.水田を伴わない稲作もあったのでしょうか.その答えはもう少し先に明らかになることでしょう.一方,明らかに水田跡がみられる遺跡もあります.中国の上海より少し,南の河姆渡遺跡は7000年前にイネを栽培していた遺跡です.日本ではおよそ2000−3000年前からのイネ栽培があったとされる佐賀県,唐津遺跡,青森県ではおよそ2000年前の水田跡がみられる垂柳遺跡も知られています.大陸からやってきた水田稲作農耕が日本のそれまでの生活様式を一辺倒させたことは確かです.