弘前大学ねぷた2001


neputa 16
ねぷた本体である大型ねぷたがやってきます。


neputa17
電線をよけるために、大型ねぷたはこのように折りたたみ式になっています。ねぷた本体も機械によってさがります。ねぷたは弘前の中心商店街である土手町までやってきました。


neuta18
鏡絵:「張飛、賊軍(ぞくぐん)を破る」 絵師:八嶋龍仙 扇ねぷた正面の図柄を「鏡絵」といいます。


neputa 19
鏡絵には三国志や水滸伝など中国の歴史を題材に取ったものが多いです。弘大ねぷたは「三国志」です。今年は人気No.1の張飛の登場です。21世紀最初にふさわしい絵だと思います。


neputa 20
見送り絵:「祝融(しゅくゆう)婦人」 勇壮な鏡絵の後ろは「見送り絵」です。勇壮な鏡絵とのコントラストがねぷたの魅力です。


neputa21
運行隊形の説明に戻ります。ねぷた本体の後ろに「お囃子」が来ますが、その配列にも伝統的なものがあります。 まず、太鼓が来ます。


neputa 22
太鼓のあとに「手振りかね」、そして「笛」が続きます。まるで、大型ねぷたを後ろから後押ししているようです。


neputa 23
演出効果からみると、太鼓や笛が大型ねぷたの後ろの影には配置されているのが、重要に思います。ねぷたそのものが大きな音をたてながら、遠くから近づいてくるように見えます。


neputa24
お囃子のあとに「しんがり」の役割の人が必ずいます。 以上が伝統的な運行隊形です。 最近、ちょっと詳しくなった気がして、知ったかぶりをしてしまいました。


neputa 25
鏡絵の題材、「張飛、賊軍(ぞくぐん)を破る」について。


neputa 26
大学からの配布資料によると、「時は後漢の末、政治の乱れに乗じて天下を狙う賊軍が兵を挙げた、その兵を打ち破る張飛の初陣の一場面を描いている」とあります。


neputa27
賊軍とは「黄巾賊の乱」をきっかけに各地で反乱を起こした暴徒をさしているのでしょう。西暦184年(光和7年)、河北を中心に勢力を伸ばしていた新興宗教の「太平道」、その教祖が張角です。太平道はもともとは霊感治療の団体でした。現代日本にも、似たような人がいましたね。


neputa 28
「太平道」は西暦174年頃に結成され、その後10年あまりで狂信的カルト集団となりました。かれらは同士の証として信仰する「黄天」にちなんで、頭に黄色い布を付けることを義務付けられていたのです。当然、当時の政府(漢)は警戒を強めていました。そして、184年の一斉蜂起となったのです。


neputa 29
黄巾賊の乱は翌185年には各地の将軍により鎮圧されるのですが、それをきっかけに各地で反乱が起こります。ここから「三国志」がはじまります。新世紀の「弘大ねぷた」もここにスタートしました。


neputa 30
昨年は「関興琥亭之一戦(かんこうこていのいっせん) 」で、殺された関羽の敵(かたき)をとるという題材でした。つまり、「けじめ」をつけるという意味で20世紀最後のねぷたをしめくくり、そして今年は新しい世紀を迎えたのでしょう。


Back next

photo: K.Hatakeyama
copyright(C)2001 by K.Hatakeyama